「かも道」を向井さんが評するとこうなります。
やっぱ向井さんの話は面白い?!
国史跡「阿波遍路道」~文化財としての遍路道~
と題した講演会。
お話はコチラの3名。
これまでは地元の事ばかり考えてましたが
当然、遍路道は四国を一周してて
隣町にもあるワケで勉強させていただきました。
とりわけ小松島には港があって紀州方面から
来られたお遍路さんは1番からではなく恩山寺や立江寺から
周り始めたという話には心の「へぇ~」ボタンを押してました。
今度、時間のある時に今は立ってるだけになってる
道標を見に行ってみよう!
道標なのにシキミの花が奉ってあるっていう事は
今でもお世話してる方がいるって事なので
お大師信仰の深さがわかります。
こういう講演会は普段50名程度だそうですが
今回は100名を超える方が来られてました。
阿南市周辺の方々が、いかに遍路文化について
強い関心を持っているかがわかります。
これまで丁石の建てられた時代や形、材質の話は聞いてましたが
少し掘り下げて今回は願主の話があり
その時代に書かれている別の書物から掘られた名前を追跡していく
という手法も教えていただきました。
それから…
この「かも道」の登り口に、まとめてある数本の丁石。
これまでは道中にあったものを下ろしてきた、といわれてましたが
那賀川の渡し船があった場所からの道標という新説。
なるほど、つじつまが合うしオモシロイ!
そして最後に向井さんが導き出したアノ言葉。
「すーぱーすぴりちゅあるぞーん」
弘法大師にまつわる話は各地に残ってますが
若き日に実際、修行した場所として本人が記しているのは
四国の中で太龍寺山と室戸岬だけです。
その時代に太龍寺山に登ったルートとして考えられるのが
『かも道』なのです。
開発されることも無く、廃道となっていた事が良かったのか?!
いにしえの人々が、そして「空海が唯一、実際に歩いた!」
と思われる道が、そのままココにあるのです。
夢のある話じゃないですか!
地元の宝だけじゃなく国の宝になるんですから
これからも整備を続けて次の世代へ繋げます!
後日掲載された徳島新聞の記事