2013年2月16日土曜日

阿波遍路道ウォーク~鶴林寺道~

昨年の11月に相棒と歩き遍路を体験しておこうと
鶴林寺道を実際に歩いたのですが
今回、解説付きの遍路道ウォークがあるというので
相棒と参加してきました。
集合は道の駅「ひなの里かつうら」。
スタッフも含めて90名もの参加者となりました。
さすが勝浦は、こういうイベントに関心のある方が多く集まります。
山歩きは人それぞれのペースがあるので
4班の少人数に分かれての移動となりました。
こちらは鶴林寺道の起点となる東林庵。
由来書きによると延暦12(793)年、弘法大師19歳のとき当地に到り
一草庵であった東林庵に滞在し薬師如来を祀られたとのこと。
しばらく歩いた場所に、こんな道標が!
遍路ボランティアの野崎さんに聞いたのですが
この石の道標は中務茂兵衛(なかつかさ もへい)という方が
独力で四国に170基建てたもので
鶴林寺道にもいくつかあるようです。
中務茂兵衛の資料を野崎さんにいただいたのですが
その資料によると、中務茂兵衛は幕末の弘化二(1845)年、山口県の農村生まれ。
慶応二(1866)年21歳の時に巡礼を始め77歳で巡礼に倒れるまで
八十八か所を280回も廻り晩年は服に触れると難病が治るとまで言われた方のようです。
石の道標「立石」を建て始めたのは明治19年、88回目の巡礼からだそうです。
勝浦に立石という苗字がある事を、ふと思い出しました。
何気ない道標にも、こんな隠された話があるなんて…遍路道、奥深し!
私と相棒は4組ある班の4番目。
この組のガイドは県教育委員会の喜枝さん。
分かれ道にある十八丁石。
一丁≒109mということで鶴林寺まで、およそ2kmということになります。
これだけハッキリと右、鶴林寺となっているのですが
今でも、この場所で間違う方が多いとのことです。
 この茅葺きの遍路小屋は昨年の11月には屋根を葺き替え中でしたが
工事も終わりキレイに屋根が葺き替えられてました。
まさに遍路小屋!趣きがあります。
野崎さんが私有地を提供されたとか!スバラシイ!!
これは行き倒れになった、お遍路さんの遍路墓なのですが
元々、石垣はなくて畑にする際にお墓を残して石垣を組んでます。
邪魔なら移動すればいいと考えてしまうところですが
そのまま組むというところが、この地域の遍路信仰の深さを物語っています。
鶴林寺まで十四丁≒1600mのところにある水呑大師。
遍路道には弘法大師の伝説がいろいろと残されているのですが
この場所も、その一つ。
大師が杖をつくと、この場所から水が湧き出したという話が残っているのです。
厳しい山道を歩き始めた場所にあり、道を間違っていないか?とか
ちょうど喉が渇く頃など、いろんな不安を抱えたお遍路さんが安心できる
大事な水呑み場だとのことです。
ちなみに、ここからの遍路道が国指定の史跡となりました。
こうして実際に水を飲める場所もあり
「世の人に永久に残せし岩清水 大師の慈悲を心して呑む」
という句碑もあって、この水は万病に効くという話もあるのですが
今の時代はお腹を壊すこともあるので飲まないほうが…という話でした。
ちょっと悲しい?!
ここだとペットボトルなどに入れて持っていく方がいるかも?!
この右側の立石も中務茂兵衛が建ててます。
この十一丁石から形がこの五輪塔に!
解説は、かも道歩きをご覧下さい。
残り1kmほどの遍路道を歩いて行くと
視界が開けて麓の大井町、水井町を見下ろせる場所に!
向こうに見える右端の山頂部分が太龍寺で
その山から左に伸びる尾根が少し前に歩いた「かも道」です。
古い石畳を歩いて、まもなく到着という前にあるのが通夜堂跡。
通夜堂というのは、お遍路さんが無料で泊まる宿ということで
この通夜堂も昭和30年くらいまでは使われていたとのことです。
こちらのガイドをしてくださったのは鳴門教育大学の町田先生。
 この壊れたカメはトイレの跡。
井戸も残されています。
無事、二羽の鶴に守られた本堂に到着。
今回も最後まで見ていただき、ありがとうございます。

そしてオマケ。
鶴林寺の登り口で見つけた高校の同窓生の実家。
さて、どなたの生家でしょうか?